2009年3月アーカイブ

茶でも華でも、総じて

茶でも華でも、総じて技芸の世界というものは、過剰な遊技か、実利が飽和して遊技化したものに過ぎない。そもそも得るべき功利的な価値がないのだから、そこに真髄をみとるなどという行為もまた、遊技の範疇を出ないことは留意されるべきである。それを忘れて、本質的な精神性を妄想するのは日本文化の悪い癖だ。奥が深いのではなく、底が抜けているに過ぎないのに。

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