etudeの最近のブログ記事

20030829

世界に沈黙の蜜月などあり得ない、そう呟くことで纏える壁であるならば、太陽を脱色する必要もない。先端から導かれる黒色の声と、ごくりと鳴る金属の裂け目。

20030818

何度も、何度でも踝に打ち付ける。いけないとわかっていても、何度でも繰り返す。器質的にそうしてしまう彼の隣で、同じように、しかしそうは見せずに、打ち付ける。僕はその場に追いつきたかった。だから何度でも、この地から離れられない足を叩き付けた。いくら表面上は完全な勝利に終わらせようとも、結局はあらかじめ予定された敗北を味わうのだと知りながら、幾多の争いを引き受けた。鍵を回すたったひと捻りがまだ、まだ重く。打ち付ける手首。

20030810

たとえそれが救いのない罪の構造であったとしても、蝕知される以上その表面のどこかには必ず何らかの綻びがある。それは擬似存在芸術である。輪郭を揺らす傘の影のなか交わした契約に時効の規定はなかった。当該の契約を反故とする唯一の契機は、その影のゆらめきにある。唯一の方策、否定的弁証、すなわち爆撃。

僕には言葉しかない(これは何ら比喩ではなく直接的な言明である。)。しかし、地べたを掴んでは闇雲に投げつけるような真似はもうやめにしなければならない。これは僕の唯一の触手たる言葉を捨て去る試みだ。その試みが救済に依らずして遂行されるならば、その後この身には何も残らないこと、というより空虚とラベリングされた空間に投げ出されることを覚悟せねばならない。そのときこの身には、空間にむかって発話できるほどの主体性は残されていない。

これまでだって一人でやってきたじゃないか。何を、今さら。そう呟く言外にたった一筋の期待も隠されてはいないか。そう呟く失望の潭で、ふいと反転してくれることを望んではいないか。精査し、排除しなければならない(のか)。

影から食み出ること、悪魔の言葉を失うこと。

鋼鉄の背後で、口を噤む。

20030804

繰返し繰返し、穿つように、幾度も。暗闇で、ほろと落ちる一筋の髪を銜えるも、その塩基を読み取れない。いけないとわかっているのに、何度も何度も打ち付ける。穿つように、幾度も。

20030709

遠く、脱落してゆく記録を弔うために。時間という疑観念に敗北した自らに批判と罵声を浴びせるために。自らと同じく物事を単純な理論に換言=還元するに長けた理論家を鏡として、自らの配置を一般化する。都合的に合理化されたエピソードの数々がまた生き生きとした記憶として甦ることのないよう、ただひたすら象徴化する。たとえば高台で見た横顔を、陰影もわからぬ影絵に塗り潰してしまう。そんな、計画的な挫折。救いはない。

20030607

おそらく、落下するイメイジは世界を切り裂くイメイジであり、着地は世界への定位の願望である。(20001224)

たとえばいま、長いこと太陽に照らされてきた真髄がふると湧きあがる嫌気につかまれて陽のなかに唯一の湿点をもとめてしまったがゆえに湿点から溢れくる泡泡泡の渦がこの地上にまで迫ってくるという、その事実。いま、複雑とは予見可能性が零に収束することの謂いであるが、果たして泡は複雑か。名を冠することをひとつの拘束とするならば、いま、工学の真髄に遠く馴らされた思想の影をみるならば、その目は潰されねばならないだろう。あるいは、思想を擁した真髄を潰すか。いま、矛盾を抱えるのは構わない。しかし、壁はいつか越えなければならない。壁の向こうは、緩やかな曲線に描かれるべきユートピアである、だろう。壁は、避けられない。時間なる疑=観念のためである。(20010505)

あらゆる論理体系は無限後退可能でいつまでたっても着地できない。(20010508)

僕たちの身体の前には、充実した実体など存在していない。在るのはただ、少しばかりの影を映す箱のみ。そのとき誰が、映像ばかりに執着する僕たちを批難できるというのか。映像の消費は逃避ではない。それは、僕たちに可能な最大限である。(20010529)

20020529

日没の知らせとともに生誕を祝福して西の天空より降下してきた、雪の形をした神的な意志の破片が頬に触れるとき/鮮やかな傷口は三たび開示される。

燃焼という現象の形而上学的定義は忘れて思い出せなかったが、目前に揺れる焔の提示するものは書き留めることができたと記憶している。記録は実質を喪失していた。

呼びかけられて振り向いた、冷淡な風が/切ろうと微笑んだが、俄かに劇しく咳込んで触覚を遮断した。ただしそれは体性的諸感覚の再検討を迫るものであった。

思想的な頂点を既に通過してしまった芸術家にはもはや挽歌しか残されていなかった。完成した模写に定着液を吹き付ける作業は/爪先を腐らせる作業と同時に成されなければならないが、双方ともに表現内容の空疎化を免れ得ないという。世界は螺旋を描くのだという妄言に似ている。

横溢する脳髄は破綻の象徴であるが、他を許さず完全に断定する文体によってそれは一時的に回避される。勿論そこに技術的本質的問題解決のための提言はない。

二箇所の行間から要請される歴史的定式に基づいた推論は左方より段階的に接近し、ついに複合接続する。宣告を受けるのみの者はそれを知らぬまま安らぐだろう。

音階の断裂を指摘することは社会に対する宣戦布告として捉えられ、拘留された日々のなか、川沿いの或る集合住宅にこれまでなかった二次元に広がる配列を発見し、その構造を高く評価する/脚は動かなくなっていた。

20020516

たとえば一枚の紙片でも、一筋の脂肪でも構わない。連綿と語り継がれる神話から脱するための、不可能なる言説。縷縷と伝えられた価値を殴打するため育てられた不可の葉は、頼りない地質に踵打付け耐える。耐えつ、呟く。吾が足許は、たれにも及ばぬ地である、と。揺る傘、翳の輪郭が耐え難く喪われる地にあってもなお、葉は堅持しつづけるだろうか。一撃を待ち噤む揺葉、それに仮託する詩家の黠智。

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20020514

ゆるり葉、あらゆる地帯でプロジェクトするような褐色をも剽窃する、一枚の、葉。蝕まれるその身を嗤わせるよう風に晒す表裏、どちらにも属さぬ肉を孕むことは伝えずに。葉の独白は明らかにしない。ただただ核心から逸らす力学。人間の配列は諦める。やわらかな言葉は諦める。丘陵の影を諦める。ふいと、高台のプラットフォームから、市営住宅の灯りが点いた時間を確かめる横顔、額の荒れ。言葉に侵攻する記憶を遮る力もなく、諦める。至るところに墓標の建つ。教えは性器に至る。

湿った口許に複数の葉。有限の言葉を繰出す口許に葉。葉を噛み味わい、諦める素振りを見せながら、執着は絶えず、絶えず。反復がその効力を失う地まで。

20020205

鍵盤に手を曳くあなたに微笑み奏でるための指をもたず、頬に息かける腹で何某かの比較を犯している。叫ばぬ耐えと引き換えに、告発されることのない箱に到達する。懸命に足を曳くあなたを引き受け抱き締めるための腕をもたず、措定されたはずの二人称が輪郭を失っている。言葉が降ってくるのを待ち、ただ、隔壁にぼやけたフィルムを視ている。

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