孤独が大衆に吐露されるとき、(それが独白ではない場合には)〈孤独の共有〉という逆説的事態が導かれる。それは、いわゆる「苦しいのは私だけじゃない。」ないし「苦しいのは君だけじゃない。」という一種の〈大衆的合言葉〉から自然に無批判に導かれるべき、「孤独なのは私だけじゃない。」という合言葉のためである。この言葉を掲げることそれ自体は逆理ではない。問題は、個々人において専有されるべき「孤独」が、言語的交通を通じて共有される点にある。さらにその原因は、個々人の孤独が孤独なる一語のもとに表象されるという、普通名詞の宿命にある。言語の克服が、真の孤独の獲得のための要件である。
このような普通名詞の宿命は、貨幣と価値の宿命でもある。各商品は価値のもとに等値され、その表現として貨幣が用いられる。しかし実のところ、貨幣は価値に先行する。この事実については後に説明を与える。