2001年4月アーカイブ

20010406

孤独が大衆に吐露されるとき、(それが独白ではない場合には)〈孤独の共有〉という逆説的事態が導かれる。それは、いわゆる「苦しいのは私だけじゃない。」ないし「苦しいのは君だけじゃない。」という一種の〈大衆的合言葉〉から自然に無批判に導かれるべき、「孤独なのは私だけじゃない。」という合言葉のためである。この言葉を掲げることそれ自体は逆理ではない。問題は、個々人において専有されるべき「孤独」が、言語的交通を通じて共有される点にある。さらにその原因は、個々人の孤独が孤独なる一語のもとに表象されるという、普通名詞の宿命にある。言語の克服が、真の孤独の獲得のための要件である。

このような普通名詞の宿命は、貨幣と価値の宿命でもある。各商品は価値のもとに等値され、その表現として貨幣が用いられる。しかし実のところ、貨幣は価値に先行する。この事実については後に説明を与える。

20010405

世界は我々=私=私装置のような衒言が行う無節操な読み替えによって進行する。ここでいう進行は必ずしも進歩ではなく、純粋に時間的な推移を意味する。それは革命や断絶といった概念が立つ以前であり、我々の呪く内容それ自体は世界に対して全く意味を為さない。我々は、呪く。その事実のみ、それ自体が記録世界における我々の存在である。言語世界に視野を広げれば、我々=翻訳装置は、読み、解き、書くような写像である。つまり言語装置たる我々は、そこに文字(この文字は人工か否かを問わない)があれば読み、内容があれば書く、それだけの存在である。たとえばDNAなる文字があれば、我々はそれを読まざるを得ない。考古学然り、ゲノムプロジェクト然り。そして解読すれば、記述する。

実のところ、私装置は単に純粋な叙述装置ではあり得ず、主観的な述懐を展くが如くに無節操な読み替え行う、物語世界の動力なのである。

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