2001年9月アーカイブ

20011004

言語と音楽、このふたつが人類に力を与える代償として魂を脱色する毒である。ふたつの毒は互いに中和し、人類はその間にかろうじて生き存えている。この認識のもとに、しかし我々は断念する。我々は左手の唄を捨て、右手に言葉を携え、それのみで、切る。

20010926

善悪は、ユニヴァースに対峙する我々が恣意的に導入した次元である。したがってその評価が有効であるか否かは、善悪の観点から張られる映像世界が可能か否かにかかっている。問題は善悪にあるべき本質ではなく、善悪によって可能な世界像である。

社会は、世界のうちの特殊な領域である。そこでは、ある可能な世界像を実現するために、他の可能な映像の領域の一部が隠蔽されねばならない(これは正確には隠蔽ではなく、脱域の効果として現れる現象である)。

20010923

言霊の概念を日本語以外の言語に適用してはならない。言霊は日本語の本質であり、言霊は日本語を肉とする限りにおいてのみ可能な精神である。言霊の幸ふ国は日本語を母語とする人々の国であり、それ以外にあり得ない。もとより、日本語を母語としない者は言霊の何たるを知ることもできない。

このように、国粋的本質主義は本来的に輸出入不可な観念でなければならない。しかし事実、それは交換される。

20010906

面影は、肉の残余であり、白質の記憶である。

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