2007年2月アーカイブ

20070218

詩人とは、言語との(against/jointly with)闘争者である。そして現に存立する詩とは、言語との闘争に散った屍に過ぎない。

たとえば相田みつをの詩が詩ではないというのはどういうことかというと、それは詩そのものの分析ではなく、単なる詩人としての評価の話に過ぎないのだ。詩作は言語との闘争でなければならないのに、彼の詩は言語を道具として遊んでいるに過ぎない。端的に言えば、そのような態度は闘争する詩人に失礼だという下らない理由以外に評価の理由はなく、何ら作品についての評価ではない。そしてこのことが意味するのは、言語との遊戯は詩の精神を有していないという通念が存立しているということである。

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