理論と実践/public
2003年10月アーカイブ
20031006
takt
(
2003年10月 7日 03:26
)
いま、纏いの壁としての言語は、そのとおり衣の様相を見せているが、それは単に身を隠すためだけの衒というわけではない。その衒言は襞のように内外を区画しながらも表裏を騙しつづけるが、実のところ当該の文体のその端は脊椎を貫通している。このとき、壁を晒すということは神経系を露呈することにほぼ等しい。さらに身を貫く言語を抜きとることは、脊髄を抜きとることである。たとい大胆に引き抜くことがないにせよ、その換装はわずかに残された主体の可能性を滅する。
« 2003年9月
|
メインページ
|
アーカイブ
|
2005年5月 »
カテゴリ
etude (10)
あるある
日記 (7)
理論と実践 (112)
アーカイブ
月を選択...
2011年8月
2011年3月
2010年3月
2009年5月
2009年3月
2007年6月
2007年3月
2007年2月
2006年4月
2006年3月
2005年6月
2005年5月
2003年10月
2003年9月
2003年8月
2003年7月
2003年6月
2003年5月
2003年3月
2003年1月
2002年11月
2002年10月
2002年9月
2002年8月
2002年7月
2002年6月
2002年5月
2002年4月
2002年3月
2002年2月
2002年1月
2001年12月
2001年10月
2001年9月
2001年8月
2001年7月
2001年6月
2001年5月
2001年4月
2001年3月
2001年2月
2001年1月
2000年12月
2000年11月
2000年10月
2000年9月
2000年8月
2000年7月
2000年3月
2000年2月
ウェブページ
About
理論と実践/publicについて
検索
このブログを購読