2003年10月アーカイブ

20031006

いま、纏いの壁としての言語は、そのとおり衣の様相を見せているが、それは単に身を隠すためだけの衒というわけではない。その衒言は襞のように内外を区画しながらも表裏を騙しつづけるが、実のところ当該の文体のその端は脊椎を貫通している。このとき、壁を晒すということは神経系を露呈することにほぼ等しい。さらに身を貫く言語を抜きとることは、脊髄を抜きとることである。たとい大胆に引き抜くことがないにせよ、その換装はわずかに残された主体の可能性を滅する。

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